2008年05月26日
【第七回】日本代表への道のり①

今回は日本代表への道のりについてお話します。

病院を退院して、初めて見学に行った千葉ホークスの練習。
プロとしてサッカーをやっていた私の目からみても、「凄い!」の一言でした。

転んでも自分で起き上がり、回転する車輪を素手で止め、ブレーキをかける。
「こんなもの、できるわけがない。。」当時は凄く弱腰でした(笑)

それでも、パラリンピックに出場するという目標に向けて、
手の皮が剥けても、指を車輪に挟んでも、必死になってがんばってきました。

当時、日本一だった千葉ホークス。
(過去の選手権(全国大会)で、優勝13回、準優勝13回。最近では11年連続決勝進出)
そんなチームで練習しているわけですから、成長のスピードも早かったと思います。

自分自身でも上手くなっていると感じていたのですが、なかなか試合に出るチャンスには恵まれませんでした。
それはなぜか?
それは、自分と同じ障害を持ち、同じポジションの日本代表選手がいたからなのです。

彼は本当に素晴らしいプレーヤーでした。シュートもパスも世界レベル。
彼を超えない限り、試合には出られないと思いました。

試合に出るため、パラリンピックに出場するためには、超えなければならない大きな壁。
正直、悩みました。
「他のチームに移籍すれば、確実にスタメンとして出られるかもしれない。
でも、それじゃ逃げることになる。このまま負け犬にはなりたくないし。。」

結局、このまま千葉ホークスでがんばることに決めたのですが、
そこでもう一つ、考えたのです。
試合に出るため、パラリンピックに出場するためにはどうすればいいか・・・?

彼と同じようなプレーをしても目立たないし、意味がない。
彼に無くて、自分にあるもの。。
そこで、出した答えが、「ディフェンスのスペシャリスト」になるということでした。

もともと、サッカーで司令塔をしていたので、視野の広さや危険を感じ取る能力はありました。
それをディフェンスに活かせると思ったのです。

とにかく、ディフェンス、ディフェンス、ディフェンス。。
ディフェンスを磨くことに時間を費やしていったのです。

ディフェンスと言っても、そんな単純なものではありません。
車椅子の向き、ターンの仕方、数センチ単位での車椅子操作。
車椅子を自分の足のように動かせて、初めてディフェンスができるようになるのです。
※正直、10数年も車椅子バスケを経験していますが、いまだに、車椅子操作は勉強しています。

ディフェンスのスペシャリストを目指して、やっと周りも私のディフェンス力を認めてくれるようになりました。
しかし、依然として、チーム内での評価は、ライバル選手の方が上でした。
それでも、腐ることなく、必ず訪れるチャンスを信じて、歯を食いしばりがんばり続けました。。

そして、とうとう、1年5ヶ月後にシドニーパラリンピックが迫っていたのです。


続きは、来週!お楽しみに~~~!!!!!
  

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2008年05月19日
【第六回】北京パラリンピック日本代表決定!

先日、日本車椅子バスケットボール連盟が記者発表を行い、そこで、北京パラリンピックに出場する、男女それぞれ12名のメンバー発表がありました。

そこには私の名前もあり、これで、シドニー、アテネ、北京と3大会連続の出場となります。

メンバーは以下のとおり

京谷和幸 千葉ホークス 1.0 
佐藤 聡  NOEXCUSE  1.0 
藤井新悟 宮城MAX   1.5 
森 紀之  千葉ホークス 2.0 
三浦文閣 三重チャリオッツ 2.5
是友京介 清水MST   3.0
香西宏昭 千葉ホークス 3.5
鈴木明将 千葉ホークス 3.5
宮島徹也 富山WBC  4.0
大島朋彦 ワールドBBC 4.0
藤本怜央 宮城MAX   4.5
前田憲造 森本文化風呂商会 4.5

今回のメンバーは、若手、中堅、ベテランと非常にバランスの取れたチームとなっています。
過去、私が出場したパラリンピックの中でも、今回のメンバーは最高のメンバーでしょうね。
このメンバーで北京ではメダルを獲りに行きます!!

日本のAグループは、
日本、カナダ、ドイツ、スウェーデン、イラン、南アフリカ。

もう一つのBグループは、
アメリカ、オーストラリア、イギリス、イスラエル、ブラジル、中国。

なかでもカナダは、2年前の世界選手権、アテネ、シドニーパラリンピックのゴールドメダルチームです。
今回の北京でもゴールドメダルの最有力でしょう。
ただ、勝負の世界、何が起こるかわかりませんけどね。

日本は、カナダ、ドイツ、スウェーデン、イラン、南アフリカ、全ての国と対戦したことがあります。
カナダが少し抜けた感じがありますが、あとはどこも日本と同じくらいの実力だと思います。。


さて、試合はどのように行われるかについてお話します。

まず、各グループで総当りのリーグ戦を行い、順位を決めます。
そのグループリーグの上位4チームが決勝トーナメントに進出できるのです。
そして、Aグループの1位とBグループの4位、Aグループの2位とBグループの3位、Aグループの3位とBグループの2位、Aグループの4位とBグループの1位という具合にタスキがけで対戦します。

ここで勝てば、ベスト4に残り、メダル獲得に一歩近づくという訳です。
できれば、グループの上位に入りたいところですね。

日本は今まで4位通過が多く、いつも決勝トーナメントの初戦で、カナダに当たっていたのですが、
今回はカナダとは同グループ。グループ的にも比較的に恵まれました。
しかし、先ほども言いましたが、勝負の世界、何が起こるかわかりません。

ただ、日本のやるべきこと、
「考えて走る」「話す(声を出す)」「切り替えを早く」「自信を持つ」「最後まで諦めない」。
これがしっかりできれば、勝機は十分にあります。

2年前の世界選手権のイタリア戦では、最終Qで15点差をひっくり返しましたからね。
その時は、本当に上に書いた、5つの事、全てができていました。

精神的にも肉体的にもたくましくなった日本代表の活躍に期待してください!


最後に、私が思う日本代表選手にとって必要なものとは、、、

それは、、、
日本代表としての「自覚」と「責任」と「誇り」です。

ここに至るまで、いろんな方々に支えられ来たと思います。
この舞台に立つことのできなかった仲間、支えてくれた家族、応援してくれる多くのサポーターたち。
そういった人達の思いを背負っているということを忘れてはいけないと思うのです。

北京では、常に日本代表としての「自覚」と「責任」と「誇り」を持ってプレーすることをお約束します!  

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2008年05月12日
【第五回】パラリンピックを目指したきっかけ③

今回も先週に引き続き、「パラリンピックを本気で目指したきっかけ」をお話しします。

先々週は、地元室蘭での結婚披露パーティーでの出来事「ホップ」、先週は、藤田俊哉選手の結婚式での出来事「ステップ」までお話ししてきました。
そして、今回は最後の「ジャンプ」です。

ジャンプ。。。それは、「娘の誕生」です!

その日、私は自宅で、病院からの電話を待っていました。
出産予定時間になっても、なかなか電話が鳴らない。。
「何かあったのか?」不安で不安で仕方ありませんでした。。

その時、電話が・・・
「○○病院です。元気な女の子が生まれましたよ~~。」

興奮していた私は、本来なら「ありがとうございます」と言うべきところを、看護師さんに対して「おめでとうございます」と言ってしまったのです。
これは、今でも伝説になっていますが・・・(笑)

その娘を初めて抱きかかえた瞬間、私は「この子の為なら何でもできる!」そう思いました。
親になったら誰でも思うことでしょうね。

それと同時に、自分は障害を持っていて、車椅子の生活をしている。
もしかしたら、私のことでこの子はイジメにあってしまうかもしれない、と考えてしまったのです。

まぁ、そんな弱い子に育てるつもりはありませんでしたが、何か私のことで言い返せるものを作ってあげたいと思ったのです。
プロサッカー選手だったというのは過去の話。
今、この子の成長とともに、自分自身も成長でき、娘に誇りに思ってもらえるもの、また、自分が誇りに思えるものを。。
それは、やはり「パラリンピックに出場する」ことだったのです。

もし、娘に対して「お前の父ちゃん、なんで車椅子なんだ~~」など言われてしまったとき、
「うちのパパ、車椅子だけどオリンピック出たことあるんだよ~」って言い返せたら?
そんな事言ってもらえたら、最高じゃないですか!

とにかく、私は、「娘に誇れるパパになりたかった」のです。

娘のため、家族のため、誰かのために顔晴ることで、すごく力が沸いてきたのです。

娘の誕生とともに、私の車椅子バスケへの取り組み方も変わりました。
1分、1秒も無駄にはできない。そう思い、毎回の練習を全力で行ってきました。

その結果、車椅子バスケを始めて4年で日本代表に選ばれ、シドニーパラリンピックに出場することができたのです。

地元室蘭での結婚披露パーティーでの出来事「ホップ」、藤田俊哉選手の結婚式での出来事「ステップ」、そして、娘の誕生「ジャンプ」。
どれか一つでも欠けていたら、パラリンピックを本気で目指すことは無かったと思います。

ホップで、アスリート魂が呼び起こされ、ステップで、日の丸(日本代表)への思いが強くなり、ジャンプで、パラリンピックというものが明確な目標へと変わって行ったのです。

この3つの出来事は、私にとって最高の出会いです!

余談ですが、娘は現在中学1年生になったばかり。。
その娘が小学生の頃、私は娘の学校へ講演に行ったのです。
夢を持つこと、出会い、そして感謝の気持ちを持つこと。。そして車椅子バスケの実技を生徒達に披露したのです。

学校からいただいた感想文には、「京谷のお父さん、かっこいい」とか、「車椅子でシュートが入ってすごい」など、嬉しい言葉がたくさん書かれていました。

この時、思いました。。
これで、やっと、娘に誇りに思ってもらえるようになったと。。。


何か始める時、必ずきっかけというものがあるはずです。
きっかけ=出会い=チャンス!なのです!!

これからもチャンスを見逃さずに、常に前を向いて走り続けて行こうと思っています。
  

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