2008年06月23日
【第十一回】アテネパラリンピック
初めて出場したシドニーパラリンピックから4年。
舞台は、オリンピック発祥の地、“ギリシャ・アテネ”
シドニーパラリンピックが終わってから、アテネパラリンピックまでの間、私は、練習をほとんど休むことはありませんでした。
「シドニーの時と同じ思いは、もう二度としたくない。。」そう思って練習をしてきたし、あの時、自分自身に足りなかったものを、この4年間、必死になって練習してきたのです。
また、シドニーの時とは違い、今度はチームの主力として臨む大会でしたから、気持ちもかなり入っていたのです。
この大会、私が最も印象に残っている試合は、初戦のアメリカ戦とイラン戦、そして決勝トーナメント順位決定戦のアメリカ戦です。
初戦のアメリカ戦。
NBAで有名なアメリカ。車椅子バスケット界でもアメリカは強豪国です。
しかし、アメリカは4年後の北京を見据えた、若手中心のチーム編成だったのです。
いつもなら高さと速さで圧倒してくるアメリカが、若手中心のせいか、ミスを連発。
日本のディフェンスも上手く機能していたということもあり、前半は、日本リードで折り返したのです。
過去の試合を振り返っても、アメリカにリードするということは一度もありませんでした。
確かにアメリカは若手中心でしたが、それ以上に、日本が成長したんだと思いました。
誰もが「やれる、イケる!」と思ったことでしょう。私自身もそう思っていましたから。。
後半に入り、徐々にアメリカがリズムをつかみ出し、逆に日本はイージーミスやシュートミスが続いてしまったのです。
日本の悪い部分が出てしまい、結局、8点差でアメリカに負けてしまったのです。
この試合、本当に勝てると思っていました。勝敗を分けたもの、それは、勝ちへの執念でしょうね。
日本は前半、必死になって戦っていました。
ところが、前半リードで折り返した後半は、気持ちが受けに回ってしまったのです。
逆に、後半、アメリカは「日本に負けられるか!」という気持ちが全面に出ていたような気がします。
日本との初戦に勝利した若手中心のアメリカは、その後、オランダに敗れるものの、予選リーグを1位通過したのです。
一方の日本は、オランダ、ドイツに破れ、後がなくなりました。
※試合順は忘れてしまいましたが・・・。。
そして迎えたイラン戦。
この試合に負けると、決勝トーナメント進出が無くなるという状況。
そう、シドニーの時のスウェーデン戦と同じような状況になったのです。
この試合は絶対に落とせない。シドニーの時と同じ思いはしたくない!
試合前日から、興奮して寝付けなかったことを今でも覚えています。。
そして、試合当日。
とにかく、気持ちで負けない、技術はシドニーの時よりも確実に上がっている。
自分を信じて、仲間を信じて。。。
試合は序盤から日本のペースでした。しかし、イランも決勝トーナメント進出がかかっているので必死でした。
点がなかなか離れない。その時、キャプテンの大島がファールトラブルで交代。
チームの柱を失って、動揺する日本。でも、代わりに入ってきた選手が、活躍して、なんとかリードを保ちました。
ルーズボールを最後まで諦めず、そこからの日本の得点。
試合は完全に日本ペースになりました。
結局、20点近く差をつけての勝利!
なんとか、予選4位で決勝トーナメント進出を決めたのです。
この時の日本の気迫、気持ちが最初からあったら・・・(苦笑)
決勝トーナメント1回戦は、Aグループ1位のカナダと対戦。
世界王者のカナダの「高さ、速さ、力強さ」の前になすすべなく、撃沈してしまった日本。
順位決定戦に回ることになったのです。
ここで対戦する相手が、なんと、グループリーグ初戦で対戦したアメリカ。
グループリーグを1位通過したアメリカは、決勝トーナメント1回戦でイギリスに破れ、順位決定戦に回ってきたのです。
そのアメリカ、初戦から若干メンバーを変えてきていました。
たった一人、ベテラン選手がスタメンに起用されていたのです。
初戦の時には、ベンチに座っていただけだったのに・・・。
そのベテラン選手は、過去何度もアメリカを優勝に導いた選手でした。
それでも、日本はやるべきことをしっかりやるだけ。
一つでも上の順位を目指そうと、みんなで話し合い、この試合に臨みました。
試合が始まると、初戦のアメリカとは比べものにならないくらい、スピード感あるバスケを展開してきました。
たった一人のベテラン選手が、コート内の若手選手に指示を出し、コントロールしているのです。
アメリカの素早いプレッシャーに日本はミスを連発。
全く良いところが出せずに、20点近く差をつけられ負けてしまったのです。
たった一人のベテラン選手。
この選手の存在が、その後、私に変化をもたらしてくれることになるのです。。。
アテネパラリンピック、12チーム中8位。
シドニーパラリンピックから一つ順位を上げましたが・・・。
アテネから帰ってきた後、自身のブログにこんなことを書いていました。
「アテネパラリンピック最終戦(アメリカ戦)終了後、きゃっするは正直、何も考えられませんでした。
ただ、ベンチでチームメイトが涙している姿を見て、「あ~、これで終わったんだ~~」と。
しばらくの間「ボォーっ」としていたら、コートには誰もいなくなっていました。
そして最後にもう一度、アテネのコートをこの目に焼き付けておこうと思って回りを見渡したとき、アテネパラリンピックのために費やしてきた4年分の思いが一気に弾け飛び、思わず涙を流してしまったのです。
悔しい気持ちはあったと思いますが、悔し涙ではなく、この4年間頑張った自分や支えてくれた家族、そして今まで応援してくれた人たちに対する感謝の涙だったと思います。
シドニーパラリンピックが終わった時は、悔し涙を流し、「絶対次のアテネではリベンジするんだ!」という気持ちになって、すぐに「アテネパラリンピック」という目標ができましたが、今回はなかなか目標・目的が頭の中に浮かんできませんでした。
多分、この4年間があまりにも充実しすぎて、少し頭の方も休みたかったんでしょうね~。」と。
しかし、この後、すぐに、アメリカのベテラン選手の存在を思い出したのです。
「北京のときは、37歳。スタメンじゃなくても、ベンチでも良い。とにかく日本チームを支えて行きたい」と。
そして、あんな存在感のある、ベテラン選手に私もなりたいと。
アテネパラリンピックから4年。そして、舞台は「北京」。。
どんなドラマが待っているのか、今から非常に楽しみなのです。。。
舞台は、オリンピック発祥の地、“ギリシャ・アテネ”
シドニーパラリンピックが終わってから、アテネパラリンピックまでの間、私は、練習をほとんど休むことはありませんでした。
「シドニーの時と同じ思いは、もう二度としたくない。。」そう思って練習をしてきたし、あの時、自分自身に足りなかったものを、この4年間、必死になって練習してきたのです。
また、シドニーの時とは違い、今度はチームの主力として臨む大会でしたから、気持ちもかなり入っていたのです。
この大会、私が最も印象に残っている試合は、初戦のアメリカ戦とイラン戦、そして決勝トーナメント順位決定戦のアメリカ戦です。
初戦のアメリカ戦。
NBAで有名なアメリカ。車椅子バスケット界でもアメリカは強豪国です。
しかし、アメリカは4年後の北京を見据えた、若手中心のチーム編成だったのです。
いつもなら高さと速さで圧倒してくるアメリカが、若手中心のせいか、ミスを連発。
日本のディフェンスも上手く機能していたということもあり、前半は、日本リードで折り返したのです。
過去の試合を振り返っても、アメリカにリードするということは一度もありませんでした。
確かにアメリカは若手中心でしたが、それ以上に、日本が成長したんだと思いました。
誰もが「やれる、イケる!」と思ったことでしょう。私自身もそう思っていましたから。。
後半に入り、徐々にアメリカがリズムをつかみ出し、逆に日本はイージーミスやシュートミスが続いてしまったのです。
日本の悪い部分が出てしまい、結局、8点差でアメリカに負けてしまったのです。
この試合、本当に勝てると思っていました。勝敗を分けたもの、それは、勝ちへの執念でしょうね。
日本は前半、必死になって戦っていました。
ところが、前半リードで折り返した後半は、気持ちが受けに回ってしまったのです。
逆に、後半、アメリカは「日本に負けられるか!」という気持ちが全面に出ていたような気がします。
日本との初戦に勝利した若手中心のアメリカは、その後、オランダに敗れるものの、予選リーグを1位通過したのです。
一方の日本は、オランダ、ドイツに破れ、後がなくなりました。
※試合順は忘れてしまいましたが・・・。。
そして迎えたイラン戦。
この試合に負けると、決勝トーナメント進出が無くなるという状況。
そう、シドニーの時のスウェーデン戦と同じような状況になったのです。
この試合は絶対に落とせない。シドニーの時と同じ思いはしたくない!
試合前日から、興奮して寝付けなかったことを今でも覚えています。。
そして、試合当日。
とにかく、気持ちで負けない、技術はシドニーの時よりも確実に上がっている。
自分を信じて、仲間を信じて。。。
試合は序盤から日本のペースでした。しかし、イランも決勝トーナメント進出がかかっているので必死でした。
点がなかなか離れない。その時、キャプテンの大島がファールトラブルで交代。
チームの柱を失って、動揺する日本。でも、代わりに入ってきた選手が、活躍して、なんとかリードを保ちました。
ルーズボールを最後まで諦めず、そこからの日本の得点。
試合は完全に日本ペースになりました。
結局、20点近く差をつけての勝利!
なんとか、予選4位で決勝トーナメント進出を決めたのです。
この時の日本の気迫、気持ちが最初からあったら・・・(苦笑)
決勝トーナメント1回戦は、Aグループ1位のカナダと対戦。
世界王者のカナダの「高さ、速さ、力強さ」の前になすすべなく、撃沈してしまった日本。
順位決定戦に回ることになったのです。
ここで対戦する相手が、なんと、グループリーグ初戦で対戦したアメリカ。
グループリーグを1位通過したアメリカは、決勝トーナメント1回戦でイギリスに破れ、順位決定戦に回ってきたのです。
そのアメリカ、初戦から若干メンバーを変えてきていました。
たった一人、ベテラン選手がスタメンに起用されていたのです。
初戦の時には、ベンチに座っていただけだったのに・・・。
そのベテラン選手は、過去何度もアメリカを優勝に導いた選手でした。
それでも、日本はやるべきことをしっかりやるだけ。
一つでも上の順位を目指そうと、みんなで話し合い、この試合に臨みました。
試合が始まると、初戦のアメリカとは比べものにならないくらい、スピード感あるバスケを展開してきました。
たった一人のベテラン選手が、コート内の若手選手に指示を出し、コントロールしているのです。
アメリカの素早いプレッシャーに日本はミスを連発。
全く良いところが出せずに、20点近く差をつけられ負けてしまったのです。
たった一人のベテラン選手。
この選手の存在が、その後、私に変化をもたらしてくれることになるのです。。。
アテネパラリンピック、12チーム中8位。
シドニーパラリンピックから一つ順位を上げましたが・・・。
アテネから帰ってきた後、自身のブログにこんなことを書いていました。
「アテネパラリンピック最終戦(アメリカ戦)終了後、きゃっするは正直、何も考えられませんでした。
ただ、ベンチでチームメイトが涙している姿を見て、「あ~、これで終わったんだ~~」と。
しばらくの間「ボォーっ」としていたら、コートには誰もいなくなっていました。
そして最後にもう一度、アテネのコートをこの目に焼き付けておこうと思って回りを見渡したとき、アテネパラリンピックのために費やしてきた4年分の思いが一気に弾け飛び、思わず涙を流してしまったのです。
悔しい気持ちはあったと思いますが、悔し涙ではなく、この4年間頑張った自分や支えてくれた家族、そして今まで応援してくれた人たちに対する感謝の涙だったと思います。
シドニーパラリンピックが終わった時は、悔し涙を流し、「絶対次のアテネではリベンジするんだ!」という気持ちになって、すぐに「アテネパラリンピック」という目標ができましたが、今回はなかなか目標・目的が頭の中に浮かんできませんでした。
多分、この4年間があまりにも充実しすぎて、少し頭の方も休みたかったんでしょうね~。」と。
しかし、この後、すぐに、アメリカのベテラン選手の存在を思い出したのです。
「北京のときは、37歳。スタメンじゃなくても、ベンチでも良い。とにかく日本チームを支えて行きたい」と。
そして、あんな存在感のある、ベテラン選手に私もなりたいと。
アテネパラリンピックから4年。そして、舞台は「北京」。。
どんなドラマが待っているのか、今から非常に楽しみなのです。。。
Posted by きゃっする
at 10:00
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